「超法規的な行動」をとれば自衛官は罪に問われる

何年か前のある休日、北海道の広い道を、私服姿の若い自衛官の運転で走ったことがある。
「○○くん、もうちょっとスピード出せないかな……」
助手席の男性が速度を上げるように促すが、ペースは一向に変わらない。後続の車はしびれを切らして、対向車線からビュンビュンと追い越していく。
「わかった、わかった。自衛隊の人に、そんなことを言ったらいけなかったね。でも、このままじゃ飛行機に間に合わなくなるから、運転、ちょっと代わってもいいかなあ?」
かくしてドライバーは、車の持ち主ではない人に代わることになった。この日は、北海道を訪れた私を、地元の隊員さんと主催関係者の方が空港に行く前に観光案内をしてくれたのだが、一般の人の感覚では15分くらいと見込んでいた道に、倍の時間がかかってしまった。
法定速度を見れば、あくまでも彼(自衛官)が正しい。世の中のほとんどのドライバーは道路交通法など守っていないのかもしれないが、自衛官にとっては、法はあくまでも法。自衛官はどんなときでも違反にならない、いわゆる「自衛隊走行」。「融通がきかない」と思う人もいるかもしれないが、それが自衛隊なのである。
日本人の多くは「法に従って行動する自衛隊」という本質の部分を、あまりよく理解していないのではないか─と私は感じることが多々ある。だからこそ平和安全法制(安保法)の議論も、自衛官の直面する現実とあまりにもかけ離れていたのではないだろうか。
「いざとなれば、自衛隊はやってくれるんだろう?」
こんなふうに、実際のところ、少なからぬ人々が期待しているのではないか。
「憲法も変えないほうがいいような気がするし、集団的自衛権の行使も戦争に巻き込まれるかもしれないのでやめたほうがいいだろう」などと言いながら、本当に国民が危機に陥るような場面になったら、きっと助けてくれるのだろうと思っているとしたら、これはとんでもない誤解だ。
たとえ国民の命を守るためとはいえ、もし「超法規的」な行動をとれば、自衛官が個人的に罪に問われることになる。そんなことを平気でさせようというのだろうか。
「法を守れ」「法治国家だ」と言いながら、日本人が皆100%国内法を守っているとはとうてい思えない。それゆえ、一般国民は自衛隊に対しても本当は「それほど厳密に法を守らなくてもいいのではないか」と思っているのではないか?
この漠然とした期待が、安保法という非常に抑制的な法整備すら、スムーズに進めさせなかった要因になっているような気がしてならない。
言うまでもなく、この認識は間違っている。もし、自衛官に、「ここは広い道路だし、他に車もいないのだから、もう少し速度を上げてほしい」と思うなら、道路交通法を変えることを考えるべきだろうし、同じように、海外で危ない目に遭ったときに、近くを通った自衛隊に助けてもらいたければ、根拠となる法を変えておかなくてはならないのだ。
つまるところ、多くの日本人にとって法律とは、「ある程度、守っていればいい」くらいのものなのではないか。そうであれば、その日本人が自衛隊の行動に対して「違法性」や「法の安定性」云々を問う資格はないだろう。
自衛官に違法行為をさせるわけにはいかない。
だから法を整えなければならない。
それだけのことだ。

「駆けつけ警護」への過大評価

自衛隊に対する誤解は、まだある。
「安保法制などに関して、自衛官はどう思っているの?」とよく聞かれるが、そうした疑問を持つこと自体に、私は逆に疑問を感じてしまう。自衛隊は、「やれ」と言われればやるし、「やるな」と言われればやらない。そういう組織だからだ。
自衛隊は与えられた条件下で、最大限の成果を追求する。法に不備があろうが人員や装備に不足があろうが、その範囲内で全力でやり抜こうとする。目的達成のために、たとえ自らの骨を削り、肉を裂くことになっても、血を流しながら、身を粉にして、彼らは任務を遂行しようとするだろう。
これを象徴していると思われるのは、いわゆる「駆けつけ警護」である。安保法成立のために尽力された方々には恐縮な言い方になってしまうが、どうも賛成する側も反対する側も過大評価しているようだ。
今般の法改正(2015〈平成27〉年9月)では、従来より踏み込んだ武器使用が可能となり、自分や自己の管理下に入った人を守るためだけでなく、妨害する相手を排除するための武器使用も認められるようになった。
だが実際には、通常の軍隊の標準からすればまだ抑制されたものであり、相手に危害を与える武器の使用は正当防衛・緊急避難に限定されていることに変わりはない。
これまでは自己と自己の管理下という近くにいる人を守ることは許されても、隣の建物にいる国連職員を助けたり、離れた場所から日本人に電話で助けを求められても駆けつけたりはできなかったので、今回の改正は、関係者のあいだで「武器使用制限があるとはいえ、マシになった」と評価されているにすぎない。
そもそも、PKO(国連平和維持活動)などにおいては、派遣された地域で何か起きた場合、自衛隊に出動要請が来ることは考え難く、一義的には、現地の治安当局や治安任務にあたる他国軍の歩兵部隊が対応することになる。
たまたま近くにいた場合などは自衛隊が駆けつけるシーンがあるかもしれないが、そうでなければ、行動に制約がある自衛隊がわざわざ選ばれる可能性は低いだろう。
ただ、そうは言っても、自衛隊は法で決められていないことは何一つできないのであり、万が一の事態を考えれば、必要な法整備だったということである。
「この程度の変更では意味がない。かえって誤解を与え、事態を複雑にする」と指摘する声もある。
相手が撃ってきたら初めて撃ち返せるという、他国軍と基準が異なる自衛隊はかえって足を引っ張るのではないか─ということだ。相手より先に攻撃することが許されない自衛隊は、事実上「駆けつけ警護」はできないのであり、法改正は無意味で自衛官をより危険に晒す、と。
この指摘は、的を射ていると思う。海での「海上警備行動」も同様で、軍が出動しても行動が警察と同じでは、危険極まりない。誰もが自衛隊を「軍」と見なすことは疑いようがないからだ。

自衛官は「不自由」と感じるレベルが一般人と違う

しかし一方で、自衛隊を語るにあたって、私たちが知らないポイントが1つある。
自衛隊の活動には、理論では割り切れないものがあるようなのだ。それは「現場感覚」と表現するのが相応しいかもしれない。自衛官たちはこの独特の感覚によって今回の法改正を「進歩した」と前向きに受け止めているのだ、と私は想像する。
何しろ、これまでは邦人に助けを求められたり、一緒に活動する他国軍に何かあったりしても、法的には見過ごすことしかできず、まったく行動が許されなかったのであり、その心中は耐え難いものだっただろう。
それでも、休暇をとって散歩に行く名目で偵察に出たり、もし危ない場面に出くわしたら正当防衛にするため「自分が盾になって撃たれるつもりだった」などという話は数多くあった。
そのような状況であったので、たとえ武器の使用には制限があったとしても、現場に駆けつけることが法に反する行為にならないだけでも「駆けつけられないよりはいい」という、いわば、「よりマシ」論である。「人の道」の話なのだ。
また、自衛隊ならではの現場感覚として、自衛官は「不自由」と感じるレベルが一般人と違う点も特徴だ。
とくに野戦の過酷な訓練をしている陸上自衛官は、たった1杯の水を飲めるだけで、あるいは靴や靴下を脱げるだけで、このうえない幸せを感じたり、物の足りないなかでも何とかしたりしてしまう天才である。陸上自衛官は、満足を感じる点において、私たちと大きな差があるのだ。
今回の改正は、これまで身体を100本くらいのロープでキツく縛られていたものが1本だけ解かれたにすぎない。
しかし、その評価が学者の先生たちとズレているのは、雨水でできた水溜まりで足を洗っただけで至福のときと感じる人と、常にもっと満たされることを求めている一般的な感性との差であって、つまりは、この感性の違いを議論しても、永遠に解決を見ないのだ。
いずれにしても「駆けつけ警護」は、「建てつけの悪い法」であることは間違いない。
これは賛成派・反対派ともに同意するところだろう。
もっとも大事なことは、これをして「自衛隊が何でもできるようになった」などという見方をするそそっかしい人がいないように、周知徹底することだ。この認識共有は政府関係者や在外邦人に、とくにお願いしたい。

問題視すべきは教育訓練環境の不足

なお、「駆けつけ警護」が可能になったのは、南スーダンPKOの活動からだ。
PKOの場合はあくまでも国連の指揮下に入り、前述したように、わざわざ治安任務がメインではない自衛隊に(南スーダンでの活動の中心は道路などをつくる施設部隊)救援の要請が来る蓋然性は低い。また、そもそも行動制限がかかった場合は、日本が「駆けつけ警護」をしたいと言っても、勝手な行動は許されるものではない。
かりに現地で何らかの事案が発生し、邦人輸送などを期待するならば、別途、日本から部隊を進出させるのが理であるが、そのためには現地政府の許可や地位協定の締結など手続きが必要になり、容易ではないだろう。
とにかく、そんなPKOの事情も知らずに勝手な議論をしてきたのが、わが国のお粗末な実情なのだ。本来はもっとまともな議論をしたかったに違いないが、それをさせてもらえなかったのだから仕方がない。
そして、このような「駆けつけ警護」に対する反論のなかでも、とくに的外れだと思うのは、次のような「自衛隊員の声」を反対の根拠にしているものだ。
「海外派遣から帰ってきた後も、銃弾の音が頭から消えず悩む知人もいる」
「(射撃訓練で)標的を円形から人の形にすると、とたんに成績が落ちる隊員もいる」
「撃てない隊員もいるだろうが、そのときになってみないとわからない」
だが、自衛官、とくに陸上自衛隊の隊員にとって小銃は「魂」であり「誇り」である。
にもかかわらず、まるで「銃は悪い道具」であるかのような前提になっている。
たしかに銃による犯罪があるから、銃は怖い。しかし、包丁による殺人が起きたからといって、それを商売道具にしている板前さんから刃物を取り上げたりしないのと同様に、「引き金を引けるのか」と自衛官に対して問うのは失礼だという感覚が少なからぬ日本人にはないことが、私はとても残念だ。
それはともかくとしても、むしろ問題視すべきは、射撃の回数が年に1回程度しかないといった、教育訓練環境の不足である。
実弾を撃つ現場にいれば、音が脳裏に残り、銃撃戦の夢を見たりすることは驚くことではない。人形の標的の中で指定された的だけを撃つ訓練は難易度が高く、成績が落ちるのは当然だ。それらを克服するために、数百~数千の弾を常に撃つべきなのである。
それでも精神的に耐えられないとか、うまくできないようならば、その人は自衛隊に相応しくないのであり、辞めるか職種を変えるべきだろう。何しろ、「そのときになってみないとわからない」などということは、あってはならないのだ。
そのために、訓練はもちろん、事前の準備を万全にすることが不可欠であり、まして「選挙があるから」などと政治日程に振り回されて訓練ができないなどということは、言語道断である。
今回の改正は、「訓練ができるようになる」ことも大きな一歩なのだ。実際に「駆けつけ警護」をするかしないかにかかわらず、訓練を充実させることは極めて重要だと私は思う。

満たされない環境のなかでも死力を尽くす

東日本大震災発生後の自衛隊の活動についてまとめた拙著『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)は、想像以上に多くの方に読んでいただけた。
著者として嬉しいことではあったが、実は当初、この本を出版することに私は前向きではなかった。それは、国防を担う組織である自衛隊が災害派遣で活躍したことだけに注目するのは本意でなかったからだ。
しかし、その考えは近視眼的であることに、次第に気づくようになった。なぜなら、後日、諸外国からの自衛隊に対する評価を耳にしたとき、あの災害派遣での姿が、自衛隊の強さを見せつけることになったとわかったからだ。
自衛官が過酷な環境下で黙々と活動を行った当時の様子は、周辺国には「脅威」と映った。つまり、「この国には、国土や国民を守るために、自らやその家族が犠牲になっても献身する者がいる」と図らずも知らしめることになり、日本侵攻の意志を挫くことに繫っているのである。
もちろん、当事者である自衛官もそこまでは考えなかっただろうし、私たち日本国民のなかにも自衛隊の活躍ぶりは当たり前のように思っている人もいるだろう。
日本国内ではそれほど知られていないかもしれないが、あの泥だらけの活動が持っていた抑止効果は極めて大きいと理解していいと思う。とりわけ、これまで海空に比べて全容が見え難かった陸軍種の実力も明らかになったことは、インパクトが大きいのである。
また、これもあまり知られていないが、退官した自衛隊OBの人々がボランティアで、でき得る様々な支援活動をしていたことなども、「日本の底力」が表に出たものだと言っていいだろう。
 
「自衛隊は戦えない」このように言われることが、しばしばある。たしかに、そうなのだ。憲法に起因する法的な制約や、長年にわたる人員や予算削減の影響による人手不足、惨憺たる備蓄に個人装備……。とても他国に知らせられない現状も、多々ある。
だが一方で、自衛隊の能力は世界一だと言っても過言ではないと私は思う。その根拠は縷々述べてきたように、満たされない環境の中でも死力を尽くす精神力である。そのすごさを、私たち日本人はほとんど知らないし、気がついてもいない。
彼らがどれほど無理をしているかを知らないので、憲法に起因する法の縛りを解消させることへの理解も得られない。
個人携行品を自腹で買っている状況の改善のために、防衛費を増額する必要性も感じていない。
さらには、人員を増やして休みがとれない環境を改めることも……。
政治の世界では、新しい法律をつくったり大きな装備の調達を決めたりすることのほうが目立つし、成果に繫がる印象を与えるが、実はこうした細々とした問題点を1つひとつ良くしていくことのほうがむしろ大事なのだ。
「防衛省も自衛隊も、何も言ってこないよ」と首をかしげる政治家もいる。そうなのだ。繰り返しになるが、この組織には「与えられた環境で最大限」という概念しかないので、不足を訴えることはまず、ない。逆説的に言えば、私たちは彼らの「できます」を、ある種の疑いを持って受け止める必要があるのだ。
誤解をされては困るが、「自衛隊が気の毒だから」、状況を改める必要性を訴えているのではない。日本の置かれる安全保障環境が日に日に厳しいものとなるなかで、これでは長期戦を戦えないからだ。
また日本には、南海トラフ地震や首都直下地震などの大規模災害がいつ起きてもおかしくないといった特殊な事情もあり、有事と災害派遣の複合事態なども起こり得る。自衛隊が常に無理をしている状態では、訓練もままならず、精強性を維持できない。
 
自衛隊の頑張りの受益者は私たち国民であり、また、自衛隊がよりいっそう頑張れるようにすることができるのも、私たち国民である。
この本に記したのは自衛隊の活動の氷山の一角にすぎないが、少しでも自衛隊の真実の姿を、多くの国民の皆さんに知っていただければ幸いである。
 
 
写真出典:陸上自衛隊HP(http://www.mod.go.jp/gsdf/)


目次

序に代えて ― 自衛隊に対する日本人の誤解

「超法規的な行動」をとれば自衛官は罪に問われる / 「駆けつけ警護」への過大評価 / 自衛官は「不自由」と感じるレベルが一般人と違う / 問題視すべきは教育訓練環境の不足 / 満たされない環境のなかでも死力を尽くす
 

第1章

苦悩の時代に生きた自衛官の「戦史」 / 「これは軍隊だ」 / 「海上警備隊」の誕生 / 警察予備隊の涙ぐましい努力 / 枚挙に暇がなかった不備不足 / 旧陸軍に対する「負」のイメージを背負う / 「自衛隊の応援団」と称する人たちの錯誤 / 血と汗を流した日本特別掃海隊の努力 / 「非公式に」動いた陸・海・空自衛隊 / 隊員たちの混乱 / 法に担保されない軍事行動 / 「ミグ25事件」から読みとる教訓
 

第2章

国際的に評価されるようになった自衛隊 / 「なぜ、日本は他国に血を流させるのか」 / 朝鮮掃海の記憶が突きつけた大問題 / ミッドウェー海戦さながらの事態 / 「私たちは間違っていないんですよね?」 / 思いがけない激励に震えた隊員たちの心 / 意外なことで諸外国から不思議がられた掃海部隊 / 海外に出て、やっと「自分たちは何者か」を知る / 地元の人たちと同じ目線で汗を流す / 軍によるパブリック・ディプロマシー / 「雨後の虹」に励まされて奮闘するOBたち / しっかりと姿を残していたカンボジアの「日本橋」 / 陸自の原点ここにあり
 

第3章

屈強な精鋭たちの意外な素顔 / 昼夜を分かたず哨戒活動を行うP‐3C / 搭乗員の驚くべき判別能力 / 高可動率を支える整備の現場 / 「ありがとう」「謝謝」 / 時間365日の揺るぎない防空姿勢 / 早急に改善されるべき法整備 / わが国の安保論議が拙劣である根本原因 / 秒間の壮絶なる物語 / 世界に誇れる第1空挺団の実力 / 鎖のように固く結ばれた「傘の絆」 / 子供たちの笑顔のために命を懸ける / 特殊性がある事務官・技官を減らしていいのか / 友情の証「TOMODACHI OFFICE」 / 報じられない米兵ボランティア活動 / 日米関係を縁の下で支える夫人同士の交流 / 家族に「ただいま」も言わぬうちの災害派遣 / 「必ず、すべての人を助け出します!」 / いかなるハードな条件下でも活動できる / 「熊本へ……前進する!」 / 国防の「隙」ができぬよう警戒を続行 / 骨太の活動の根底にある「優しさ」 / 女性自衛官たちの頼もしい活躍ぶり /「自衛隊を災害派遣専門に」のナンセンス
 

第4章

日本国民が知らない自衛官の「当たり前」 / 喇叭(ラッパ)は戦闘の勝敗にも影響を及ぼす武器 / 年々、悪化している「引っ越し貧乏」状態 / 陸上自衛隊の幕僚監部が「体力検定」? / 40年以上も継続してきた「橘祭」の尊さ / 青井連隊長自らが記した「部隊統率考案」 / 自衛隊の「過去」と「現在」が交差した日
 

第5章

「何かが足りない」自衛隊 / 自衛官の応募が減っている真相 / 士気を醸成することが最大の国防費節約 / 退職後の職業を聞いてみると…… / 具体的な方向性が示されていない「賞じゅつ金」 / 「貴殿はなぜ勲章をつけないのか?」 / 戦地で死ぬかもしれない隊員のために / 自衛隊に足りない大切なものとは?
 

あとがき

 


推薦の声

戦後に自衛隊が発足して以来、自衛官たちは苦悩の「戦史」を背負ってきた。また現在でも、法的な制約や人員・装備の不足など課題は多い。あらゆる危機の局面で、自衛官たちは何を思い、どう動いたのか――。
感動の自衛隊ノンフィクション。元自衛官として共感できる一冊。

参議院議員 佐藤正久

南スーダンにPKOで派遣されていた自衛隊の残留40名が青森に帰国し、5年4ヶ月にも及んだ任務を全うした。最初のカンボジア、ペルシャ湾の機雷掃海、ゴラン高原など自衛隊の海外派遣は世界で獅子奮迅の活躍を展開してきた。
こうした自衛隊の現状を克明にレポートする女性ジャーナリストは、貴重な存在である。 しかも著者の桜林さんは放送作家。そのラジオ番組のシナリオなどで鍛えた文章は、平明で短文でありながら、骨髄をぐいと掴みだし、余計な修飾語を削り取って分かりやすく描く。ハードボイルドタッチである。 さらに重要なポイントがある。彼女が愛国者であるということである。
自衛隊は長い間、日陰者として、憲法違反、税金泥棒などと悪罵を浴びせかけられながら、寡黙に、しかし着実に努力してきた。PKOの海外派遣にも汗を流し、派遣先で深く感謝された。
国内でも左翼のメディアや団体、活動家は別として、ひろく国民からは信頼される存在となっている。東日本大震災における自衛隊の活躍は誰もが知っているだろう。 しかし問題が多い。 憲法論議の話ではなく、定員充足の問題でも、景気が上向くと応募が少なくなり、定員は常に埋まらない。 防衛体系の自立化は遠く、兵器の国産化はままならず、法的規制が多すぎるため、本来の役目を果たせずにいる現実を、保守系の自衛隊応援団の人々なら皆が知っていることである。
深刻な問題は、自衛隊は定年が早いため、再就職先が難しいことである。 こまかな点となると「自衛隊の応援団を自称する人たちの錯誤」にあると桜林さんは指摘する。 地元幹部を宴席に招待し、とことん呑ませようとしたり、みかえりに「自衛隊音楽祭り」「火力総合演習」のチケットを大量に要求したりする風習を異常と思っていない人が存外目立つそうである。
本書を読んで驚かされたのは那覇空港では対潜哨戒機のP3Cが、民間機と滑走路を共同使用しているため、タクシングが長く、しかも着陸時には上空で自衛隊機が40分もまたされることがあるという。 国防の本末転倒、こうなると怒りがこみ上げてくる。かれらは尖閣海域をうろつく中国戦の哨戒任務についているというのに?
本書を読んで、こんにちの自衛隊が抱える諸問題が鋭角的に浮かび上がってきた。
 
宮崎正弘

自衛隊に対し、一貫してエールを送り続けてきた桜林美佐さん。
これまでにも『日本に自衛隊がいてよかった』『海をひらく』など、胸が熱くなる著作を世に送り続けてきました。最新刊となる本作は、単に自衛隊を応援するだけの本ではありません。国民として、どうやって自衛隊のあるべき姿と向き合うか、そしてどうあって欲しいのか。読者一人ひとりの姿勢と決意が問われる、いわば映し鏡のような一冊であるといえるでしょう。これまでの集大成であると同時に、ひとつの到達点。それが本書の本質です。
特設サイトの「序に代えて」は、著者と出版社のご厚意により書籍の冒頭がそのまま掲載されています。何かを感じていただけたら、どうか、サイトの存在を身近な方に教えてください。
そして現場で奮励努力される隊員の皆さま、任務を完遂され退官された皆さま、それぞれのご家族の皆さま。ぜひ一人でも多くの方に、本書の存在をお知らせください。
『自衛官の心意気』。それは皆さんの汗と涙、そして誇りの結晶です。

 
高橋大輔

書籍情報

 
発売日

2017月5月24日

発売元

PHP研究所(http://www.php.co.jp/)

書籍情報

4六版ソフトカバー 218頁

定価(1600円+税)

あらすじ

著者が東日本大震災発生後の自衛隊の活動について取材・執筆した『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)は、多くの読者に絶賛された。だが著者は当初、同書の出版に前向きではなかったという。それは、国防を担う組織である自衛隊が災害派遣で活躍したことだけに注目するのは本意でなかったからだ。

 だが、その考えは近視眼的であることに著者は気づく。自衛官が過酷な環境下で黙々と活動を行った当時の様子は、周辺国には「脅威」と映った。つまり、「この国には、国土や国民を守るために、自らやその家族が犠牲になっても献身する者がいる」と知らしめることになり、日本侵攻の意志を挫くことに繋がるからだ。

 戦後に自衛隊が発足して以来、自衛官たちは苦悩の「戦史」を背負ってきた。また現在でも、法的な制約や人員・装備の不足など課題は多い。あらゆる危機の局面で、自衛官たちは何を思い、どう動いたのか――。感動の自衛隊ノンフィクション。 


著者プロフィール

桜林美佐(さくらばやし みさ)
 
防衛問題研究家。1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業。
92年よりテレビメディアでフリーアナウンサーとして始動、96年からはディレクターとして『はなまるマーケット』(TBS)などを制作。
構成として参加したニッポン放送の報道番組で、2006年と09年に日本民間放送連盟賞ラジオ報道番組部門「優秀賞」、06年に第44回ギャラクシー賞「ラジオ部門優秀賞」、16年に第12回日本放送文化大賞「ラジオ・グランプリ」を受賞。
06年ごろより、ジャーナリストとして防衛・安全保障問題を精力的に取材・執筆する。著書に、『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛隊の経済学』(イースト新書)、『海をひらく――知られざる掃海部隊(増補版)』『自衛隊と防衛産業』『武器輸出だけでは防衛産業は守れない』(以上、並木書房)、『終わらないラブレター ――祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」』(PHP研究所)など。
公式ホームページ:http://www.sakurabayashi.com/